11・28
秋の登り窯で“狐の嫁入り人形”を焼きました。
窯出しのあと、《北方文化博物館・教室生徒の作陶展》
翌檜陶房との《奥阿賀・登り窯展》で展示してましたが
ついに、《津川・狐の嫁入り屋敷》に落ち着きました!
=やっぱり、一番落ち着く場所だ!=
2013年
5月
04日
土
堀 正敏 漆芸
杉崎 栄次 版画
帆苅 誠一 ジャズ
松崎 利春 絵画
櫻井 謙一郎 パイプ
山崎 修 木工
大山 育男 陶芸
横山 恵理子 フラワーアレンジ
羽田 光範 陶芸
2013年
1月
23日
水
一月も “大寒”が過ぎ正月気分もすっかり抜けた
毎年 恒例の《雪かき》も
年々なれてきている
・・・・だが・・・・
体力の衰えも 年々増してきている
そのうち 消えてなくなる水の固まりも
年々 憎くなってきた
・
・
・
春が 待ちどうしい!
2012年
12月
31日
月
7月14日から12月24日まで開かれていた
『水と土の芸術祭2012』が終わった
なかなかの長丁場の芸術祭であった!
とりわけ “バンブーハウス”は人気が有った
その“バンブーハウス”がある 信濃川の堤防《やすらぎ堤》は
私の“親父”のお気に入りの散歩コースなのは知っていた
これから《夏本番!》と 言う七月始め頃
『バンブーハウスの朝・晩の扉の“番”を頼まれた』
と鍵を見せてもらった・・・・驚いた!
《何でオヤジが?》《半年も続くの?》《迷惑掛けないかな?》
色々 心配したが 無事に勤めたみたいだ
私も
今年は色々な経験をさせてもらったが
“オヤジ”も 色んなチャレンジをしたみたいだ
まっ・・・・無事に《終了》お疲れ様でした!
2012年
9月
27日
木
今年から参加し始めた“クラフトフェアー”も3回が過ぎた
天候にも恵まれて 人の入りは多かったが・・・・・
3回目となると余裕を持って分析が出来た
それぞれの“クラフトフェアー”によって雰囲気は違うが
来客者は《お祭り》感覚として来ている人が多い
回数を重ねている『作家』は“作品”の発表の場としているが
参加し始めの『作家』は通り過ぎる“お客”を
いかに引き止められるかにかかっている
《物作り》を始めた頃は
=自分= はこれが作りたい
気に入ってもらえた人にだけ買っていただきたい
と 思いっていた
しかし 最近は
“買う”方が《ワクワク》出来る物
“作る”自分が《ワクワク》出来る物
《物作り》の原点を思い出させてもらった!
『XーMEN』のウルヴァリン役のヒュー・ジャックマン氏が
次回作の撮影のため 日本にきていた
彼は
「日本人との撮影はとても楽しい、なぜなら
日本人は相手のことを“思いやって”行動するからだ!」
と
言っていた
2012年
9月
14日
金
いまだに30度超えの“真夏日”が続く中
稲刈りが始まった
先月に第一回目の《糸魚川クラフトフェアー》が行われたそうだ
6月の《三条クラフトフェアー》で聞いた話だが
『数を重ねて ファンを育てていかないといけない』
充実した《フェアー》にするには時間がかかるみたいだ!
明日から始まる《妻有クラフトフェアー》は第5回を向かえた
もう 認知され沢山の“ファン”が集まって来るそうだ
=楽しみである=
ホームページを始めた頃書いたが
ことしは色んな事に『チャレンジ』した
色んな“タネ”を蒔いた いよいよ収穫の時期だ!
・・・・楽しみだ・・・・いや、怖い・・・・
実りが・有るか?・無いか?・解らないが
楽しみに 刈り入れに行ってきます!
2012年
9月
04日
火
我が家のトイレには“公文”の
《なぜなぜカレンダー》が掛かっている
・・・・なかなか面白い問題も載っている・・・・
今日は
=『かみなりの光を「いなずま」と呼ぶのはなぜ?』=
昨日から “新潟の空”は荒れ模様だ
雷が鳴り 不規則に大雨が降る
おかげ様で 稲が潤い 気温が多少下がった
昨日の夜 初めて“虫の音”を聞いた!
このまま秋に変わっていくのかな?
15日(土)・16日(日)の《越後妻有クラフトフェアー》は
= 晴れて欲しいな! =
答え
雷の光が、作物の稲を実らす
という言い伝えからだよ。
稲妻は「稲の夫(つま)」から
出来た言葉で、稲を実らすもの
と言うことを表わしたんだ。
*夫(つま)は、夫婦がおたがいを呼び合う言葉。
2012年
8月
29日
水
気が付いたら“お盆"が過ぎていた!
いや 八月も終わりに近づいている!
田植えがが終わったばりかと思っていたが
稲の穂に 実が詰まっていた!
=いつの間にか 季節が進んでいる=
夏休みの子どもたちの“宿題の手伝い”も 無事終わった!
(デパートの小学生向け陶芸体験だ)
・・・中二の息子も最後の追い込みみたいだ・・・
《一期一会》に載せたい“テーマ”をその都度 残していたが
今読むと 季節感がずれている
(沢山有ったのに もったいない)
新潟では 『外仕事』は雪が降るまでしか出来ない
まだ “真夏日・熱帯夜”が 続いているのに
年内の仕事の心配をしている
・・・・気が早いが・・・
2012年
7月
02日
月
7月に入った!
暦の上では1年の半分が過ぎた
雪のせいで“外仕事”が《ゴールデンウイーク》からなので
1年の半分が過ぎたとは実感が無い
・・・今・・・
私の“実家”沼垂四つ角から蒲原神社までの約2キロ
『蒲原祭り』の出店が700件近く並んだ!
実に壮観な眺めである
今年の作物の《吉・凶》を占う“御託宣”が昨日行われた
=五穀 七分の作 難なし=だった
良い占いだそうだ
今でも十分大きな祭りだが 子どもの頃はこの倍・・・・・
いや・・・3倍は有った!・・・様な気がした・・・
『祭り』の後に 吉田卓郎の歌がリフレインするのは
・・・・私だけだろうか?・・・・
♪祭りの後の 寂しさは ・・・・・・・・・・♪
2012年
6月
27日
水
長く愛用した道具は 自分の分身である
私の“眼鏡”は20代から『丸渕めがね』である
3代目『丸渕めがね』が割れてしまった
眼鏡屋さんに行ったが『丸渕眼鏡』は無かった
ついに 『丸渕』以外のメガネになりそうだ
《道具》も長年付き合うと『家族同然』である
いや 『自分自身』である!
=変化=を嫌う日本人気質である私ですが
思いっきり“イメージチェンジ”をしてみた
・・・・人は見た目の印象で感じがかわる・・・・
《吉》と出るか《凶》と出るか
今後の反応が楽しみだ!
・
・
・
自分が思っているほど“他人”は見ていないか?!
2012年
6月
26日
火
しばらくブログを書かない間に“初夏”になっていた
少し前の《朝の連ドラ》の中で
“レポートに追われ 忙しくしていた松岡さん”が言っていた
『5分くらいの会話をする余裕がないと いけない!』
・・・その通りだ!・・・と 言うわけで
40分程度の《お散歩》を再開してみた
昨年は早々に“朝の散歩”から“夕方の散歩”に切り替えたが
今日は早朝5時から6時まで歩いた!
=気持ちが良かった=
健康オタクの“父”が言っていたが朝日を浴びると
≪セロトニン≫と言う物質が出来るらしい
=精神を穏やかにする働きが有るらしく 朝日を浴びる以外に 人の体に取り込めないと言う=
今日は沢山≪セロトニン≫を取り込んだ!
おかげで 1日穏やかに過ごせた
・・・・・と 思う・・・?・・・・
2012年
6月
25日
月
昨年からの念願だった“三条クラフトフェア”が終わった!
=結果は長岡に続き『完敗』だった!=
“三条”は回数も5回を向いえ、天気にも恵まれて
大勢の方にお越しいただいた
しかし・・・・・・
《長岡》では何が何だか解らず
ただ雰囲気を味わっただけだった
《三条》では少し落ち着いて 考えることが出来た
15,6年前の《会津本郷陶器市》とは まるっきり客層が違う
年配の“方”より 若い“方”のほうが思いっきり良く買い物をする
私は伝統的な“絵付け”や“作風”の品を持っていったが
《陶器市》と《クラフトフェア》の違いが なんとなく解った気がする
=時代背景も違うのだが=
『越後妻有クラフトフェア』は “光越窯”作品でなく
新しい“発想”で 考えていきたい!
・
・
・
=ワクワクしてきた!=
2012年
6月
01日
金
子供の頃 “藤子不二夫アニメ”のお気に入りは
・・・《ドラえもん》ではなく・・・
《オバQ》・《パーマン》・《怪物くん》である
最近 仕事が忙しくなると
《パーマン》にでてくる“コピーロボット”がほしくなる
『自分と同じ技術力』・『自分と同じ発想力』
“人手が”増えるのではなく“自分”が増えるのである
仲間と真剣に“話”をしたことがある
『買えるとしたら “いくらで”買う?』
私は 『車 一台分』
仲間は 『家 一軒分』
私より “切実”みたいだ!
2012年
5月
24日
木
サントリーホールディングと新潟県農業総合研究所が共同で
・・・『青みを帯びた“ユリ”の花の開発に成功した。』・・・
全国放送の《ニュース》で流れた!
・・・・・ ・・・
《素晴らしい》事で《すごい》ニュースだと思う
=新潟県農業総合研究所=は長岡にある
長岡クラフトフェアー期間中のニュースである
私が“自分の作品を発表・販売”している近くで
世界中に《注目》されている会社があった
“素晴らしい” 研究だが 日本人は《遺伝子操作》に敏感である
=食べもの= ではないが 世界に存在しない“花粉”が舞っても良いのか?
“水を差す” わけではないが《疑問》を感じる
世界でどれだけ『青いユリ』を待ち望んでいるのかな?
2012年
5月
19日
土
いつの間にか100日以上休まず
ブログ(一期一会)を書いていた
続けてしまうと頑張ってしまう・・・が・・・
少し 忙しくなってきた
書きたいことは まだまだ有るが 時間が無い
・・・・一息ついたら また始めます!・・・・
2012年
5月
18日
金
修行時代 先輩から言われた
「頭の中に
引き出しのいっぱい有る タンスを置くとい良いよ!」
・・・興味の有る物・知識・技術・情報・etc・etc・・・
・・・・「あとで 自分のためになるよ!」・・・・
貯めるだけでなく 活用しなくてはと 引き出しを開けてみた
・・・空である・・・
タンスの中をのぞいたら 裏の板が はずれていた。
・・・・・・新しいタンスを 用意しなくては・・
2012年
5月
17日
木
推理小説 不朽の名作 松本清張の『砂の器』
・・・・・・今から 52年前・・・・・・
1960年5月17日から1961年4月20にかけて
《読売新聞》夕刊に掲載されてた
学生当時 松本清張作品は沢山 読んだ
『砂の器』に出てくるキイワード《カメダ》が
新潟の《亀田》で 無いのが いまだに納得いかない!
今日 5月17日は私の誕生日である
何が どう変わったということは無い
いつもと 変わらぬ一日であった
。。。。
ただ 一生のうちに《やれる事》が秒読みに入った気がする
毎日見るNHKの《朝の連ドラ》 その後の情報番組の《顔》
V6の“イノッチ”井ノ原快彦が同じ誕生日だった!
2012年
5月
16日
水
方向音痴は《男脳》《女脳》に関係あるらしい
《男脳》は 地図をイメージでき俯瞰的に物を見ることが出来る
(ふかんてき)
《女脳》は最終目的地までを 一直線的に見ようとする
空間を地図として見れるかどうかに あるみたいだ
(女性には難しい作業らしい)
実測で正確な日本地図を作った男がいた・・・・伊能忠敬である
『 五十歳で隠居するまでは下総佐原村の名家の旦那。
隠居と同時に本格的に星学暦学の勉強をはじめ、
五十六歳から七十二歳までの十六年間、「二歩で一間」の歩幅で
日本国海岸線を歩き尽くして、
この間に彼の歩いた距離はざっと三万五千キロ、
歩数にして約四千万歩。確かにこれは大事業である。・・・・』
(井上ひさし著“四千万歩の男”より)
五十を過ぎて初めても 国家的事業を成し遂げる・・・すごいことだ!・・・・
言うは易し 行うは難し・・・・で あるが
5月17日・・・・・伊能忠敬の命日が 私の誕生日である
2012年
5月
15日
火
・・・今日は 沖縄本土復帰40年である!・・・
私が修行をしていた当時 復帰20年記念に合わせて
《首里城》を復元して周りを整備していた
修行時代 先輩たちと飲みに行くと復帰当時の話が良く出た
『20年前は“車”は右側通行で切り替わった時は苦労した!』
『《セント》から《円》に変わって計算が大変だった!』
『パスポート 無で内地にいけるようになった!』・・・など
(復帰当時 小学生だった先輩が多かった)
新潟生まれ・新潟育ちの私には 想像が出来ない話ばかりだった
嘉手納基地の隣の“読谷村”にいたが 20年たった今でも
米軍基地の状況は変わっていないようだ
日々の生活に追われているが
沖縄を思うと 楽しかった思い出ばかりが 蘇える
2012年
5月
14日
月
・・・・私は今月 誕生日である・・・・
不思議と 携帯電話に色んな《メール》が届く
=お誕生日のお客様にプレゼントをご用意・・・とか
=必ずもらえるお誕生日月Tポイント・・・・・とか
=05月生まれ限定半額クーポン進呈・・・・とか
=お誕生日特典OO・・・とか・・・Etc・・・
やけに多く届く
お得感を感じるものもあるが 少し不安になる
《個人情報》の管理は大丈夫なのか?
・・・・そうだ・・・・
カードを作るとき自分で《住所》《電話番号》《生年月日》
その他 色々 記入したんだっけ!
2012年
5月
12日
土
昨年から始めた《夕方の散歩》が
気持ちよい季節になってきました
アトリエ『荻川』の周りを一時間ほどの軽い散歩です
《荻川》を歩いていて 荻川出身の 元関脇『大寿山』を思い出した
今は亡き“大相撲好き”の先輩からの《話》を思い出した
先輩の妹さんが『大寿山』の後援会のお宅に嫁いだらしく
『大寿山 忠明』情報をよく聞かせていただいた
現役時代のあだ名は《ムーミン》 二子山部屋所属で
あの《若乃花》《貴乃花》の兄弟子にあたる!
今は《年寄・花籠親方》である
『大寿山』も子供時代ここ辺りを駆け回ったのかな と
思いながら 《結小学校》や 新しく出来た《荻川小学校》
《新津第二中学》あたりの周りを歩いている
2012年
5月
11日
金
いよいよ『長岡クラフトフェアー』である
朝 4時起きである・・・・起きれるかな?
不思議と子供の頃の“遠足に”似ている
= 興奮している! =
新潟に戻ってきたばかりの頃
奥会津 三島町『工人祭り』を見に行った
全国から色々な工芸作家たちが集まっていた
ワクワクして見入っていた 覚えがある
今度は出展者側であるが・・・・見学者気分である
初めての“クラフトフェアー”
一回目はこの位で良いかな!
2012年
5月
10日
木
今 『光越窯の隠れ家展』を開いている
=北方文化博物館=
一年で一番来客数が多い時期が《藤の時季》である!
明日5月11日から21日まで
《藤のライトアップ》
夕方5時から7時半まで無料開放である
博物館で4年前から《陶芸教室》を開いているのに
“ライトアップの藤”を見ていない
今年は“じっくり”見てみたい!
期間中 《長岡クラフトフェアー》や《陶芸教室》があり
半分はギャラリーを開けないのが 残念だ!
藤の花を見ていて『坂東玉三郎の藤娘』を思い出した
2012年
5月
09日
水
昔 聞いたことがある
『文化』と『文明』は“音”でわかる・・・と
誰から聞いたか定かでないが 記憶に残っている
徒歩で歩いていた頃 『馬車』の“音”は雑音に聞こえた
・・・・この頃 『馬車』は『文明』であった・・・・
『馬車』の“音”が心地よくなった頃『文化』になった
『馬車』の時代『蒸気自動車』の“音”は雑音に聞こえた
・・・この頃 『蒸気自動車』は『文明』であった・・・
『蒸気』の“音”が心地よくなった頃『文化』になった
その後 『モーター自動車』の“音”は雑音に聞こえた
・・・この頃『モーター自動車』は『文明』であった・・・
『モーター音』が心地良くなった頃『文化』になった
時代が要求した『文明』が受け入れられ定着すると『文化』になる
・・・・・と 言う事か?・・・・・
私も 『文化』の一端を担っていきたいものです
2012年
5月
08日
火
= 私の両親 =
『温故知新』 読んで字の如しである
= ふるきを温めてあたらしきを知る =
=私の“ルーツ”は両親にあると思います=
私がまだ“乳飲み子”の頃なので聞いた話ですが
“父”は私を連れて《飲み》に出ていたそうです
“父”曰く 『乳飲み子連れて呑みに行くとモテるんだ!』
だ そうです・・・・これは“温め“無くていいが・・・・
父は
趣味で《お灸》《体操》《整体》《健康に良いこと色々》
を 勉強して近所の“バアサン”たちに施していた
=“敵”も多いが“見方”も多い・・・不思議な《男》だ=
今じゃ《呉服屋のオヤジ》より《真っ向法》の先生だ
“ハチャメチャな“父”とそれを支えた“母”
今度 じっくり話でも聞きに行くかな
突っ走るだけでなく “先人”のお話に これからの《ヒント》があるかもしれない!?
2012年
5月
07日
月
= 阿賀の館 徳永次一館長 =
徳永館長は津川のことを“こよなく愛し”
また“情報量”も豊富にありました
大先輩ですが たまに お茶のみに伺い 色んなお話を伺った
『阿賀の館』には津川にゆかりがある“人物”
満州国の馬賊《天鬼将軍》・宝来寺の住職《魚心子》・
姿三四郎のモデル《西郷四郎》の資料が飾られてある
(独自で資料を集められ 建物も自費で建てられたみたいだ )
徳永さんは『奥阿賀・方言と写真』を出版されている
=“国立国会図書館”にも蔵書されている=
ある日『阿賀の館』に“お茶のみ”に伺った時に
自費出版の “満州とソ連抑留の体験記《極限》” をいただいた
徳永さん はじめ津川出身の藤山さん相田さんの戦争体験談だ
正直 すぐには読んでいなかったが 最近拝読させて頂いた
色々お聞きしたいことが有ったが・・・・・・・・
徳永さんは亡くなられていた・・・非常に残念だ・・・
《後悔 先に立たず》 である
2012年
5月
06日
日
= 会津本郷焼 “一楽窯” =
津川で登り窯を作り始めた頃 偶然
会津本郷焼の“一楽焼”のご主人とお話する機会があった
その当時 すでにご高齢でしたが新潟から持ち込んだ
《越の寒梅》のおかげで色んなお話が伺えた
〇十代のときから家業の陶房を手伝っていた (戦前の話だ)
〇昔は窯道具(ツク・棚板など)がすべて手作りだった
〇今の《宗像窯》の登り窯が共同窯で《一楽窯》も焚いていた
〇共同登り窯は一番袋から五番袋まで“磁器物”の工房で
最後の六番袋が“土物”の《宗像窯》だ・・・など・・・・
昔の陶芸に関する苦労話が色々聴けた・・・貴重な時間だった
お話の中で一番気になった話があった
『昔は“アルミナ”を多く含む粘土が《 柳津町五畳敷》にあった』だ!
怠慢でまだ調べていないが 今後調べていきたい
他にも杉の葉灰が“磁器物”の透明釉に使っていたなど
忘れずに記録いておかなければいけない
= “先人”がいなくなると “先人”の《知識》《情報》がなくなる =
= 次の世代が《記憶》《記録》していかねば ならないと思う =
2012年
5月
05日
土
= 西郷四郎(姿三四郎) =
《西郷四郎》を知らない人でも《姿三四郎》と言うと
映画・ドラマ・小説でわかる人は多いと思う
《姿三四郎》のモデルが《西郷四郎》なのである
《西郷四郎》は3歳から15歳まで津川で育った
誰でもそうだと思うが“幼稚園”“小学校”“中学校”は
その人の人格形成に大きな影響を与えると思う
身長わずか153センチ 大男達を『山嵐』で投げ飛ばす
“小柄で”“強い”人を愛を込めて『〇〇三四郎』と言いたくなる
ただ“強い”だけならここまで愛されかかったと思う
“人間的”にも魅力のある人物なのだろう
今度 富田常雄の『姿 三四郎』を読んでみよう
《西郷四郎》のお墓は本人の遺言で津川の『正法寺』に分骨されています
2012年
5月
04日
金
=金城次郎共同登り窯=
弟子入りして間もない頃“窯焚き”中 先輩から聴いた話がある
『窯は“女性”なのだ!だから“男性”が焚く』
『“女性”は“窯焚き中”近づいてはいけない』
『“窯”の前で“女性”の話はしてはいけない』
・・・・・これは昔の話で 今は違うが・・・・・・・・
『窯は“女性”なのでほかの“女性”に嫉妬をするらしい』
(窯焚きが失敗すると言われていた・・・根拠が無い・・)
『昔“女性”が手伝う時は 身を清めて
“女性”“男性”を超えてから窯焚きを手伝った』と言う
今では“女性”のお弟子さんも普通に窯焚きを手伝っている
しかし 受け継がれてきた《精神》は大事にしていきたい
『窯』は“女性”・『品物』は“子供”・『薪』は“精子”
窯焚きを始める前は必ず 手を合わせて《お祈り》をする
・・・・・『生まらしみそ~れ』(生まれてきてください)・・・・・
2012年
5月
03日
木
急遽 『北方文化博物館』で
展示会を開催することになりましたが
《コンセプト》《レイアウト》《タイトル》に悩みます!
《コンセプト》
3月に同じ会場で“個展”を開催したので
イメージを変えたものにしたい
《レイアウト》
“光越窯”の陶器以外の色んな“ジャンル”のもと
“コラボ”して“渾然一体”としたものにしたい
《タイトル》
色んな“分野”の方にお願いしたので内容は
面白いものになりましたが・・・・・ん~・・・・
・・・・・・思いつかない・・・・・・・
《ジャズ》《日本画》《パイプ》《漆芸》《和紙》《陶芸》
面白いものになりました!
《タイトル》・・・『光越窯の隠れ家展』・・・に決定!
2012年
5月
02日
水
わたしは新潟市沼垂(ヌッタリ)生まれで
もちろん沼垂小学校の卒業生である
創立100周年の年の卒業生で 思い出深い
沼垂小学校 《初代校長》は『寺田徳裕』である
1872年(明治5年)から17年間 勤めたそうだ
平成6年 縁があって津川に《光越窯》を開いた
江戸時代になって津川城を廃止、津川代官所が置かれ
“戊辰戦争”で会津が敗れ津川代官所もなくなった
なんと!
津川代官所の《最後の代官》が『寺田徳裕』なのである
= 落城後は越後高田に監禁されたが、開放 =
= 斗南に行くのをやめ新潟で船待ち中に =
= 沼垂の人たちの懇望で私塾有隣館を設置 =
= 後の沼垂小学校である =
『沼垂』・『津川』に縁がある人が私のほかにいたとは・・・
(私とはスケールがだいぶ違うが・・・・)
2012年
5月
01日
火
= とんぼ =
“とんぼ”と言っても昆虫の“トンボ”ではない
小学生の教科書にも出てきた 雪国名物“雁木”である
= 今で言う《アーケード》である =
津川は《 江戸時代までは城下町》であり《港町》《宿場町》
《市場町》《役所町》《在郷商人の町》で会った
今でも 東蒲原郡唯一の『商店街』である
“とんぼ”(雁木)は公共の歩道と思われているが
《私有地》に《私有物》として立てられている
・・・相互扶助の精神である・・・
“とんぼ”は会津藩の中でも津川だけにあったそうだ
(会津と越後の融合か?)
ちなみに 鹿瀬では“とんぼ”は《馬》の部屋のことらしい
(昔は馬と人と一緒に同じ家で住んでいた)
ちなみに 陶芸では“とんぼ”は はかりである
ちなみに 私の十八番は 長淵 剛 の“とんぼ”だ!
2012年
4月
30日
月
私の実家では お祝いがあると 必ず『すき焼き』である
一年の締めくくり大晦日の夕食も必ず『すき焼き』である
我が家の『すき焼き』は“豚肉”と”キャベツ”がメインである
あとは・しらたき・人参・焼豆腐・きのこ類・長ネギ・etc・・・
・醤油・砂糖・日本酒・みりん・別々に入れる
・・・“わりした”は使わない・・・
(どこの家でも みな同じと思っていた)
しかし学生時代 ・・・《驚かれた》・・・
“牛肉”と“白菜”を“わりした”で煮込む人が多かった!
『我が家の“常識”が世間の“常識”で無い』と解りました
日本は“広い”と『すき焼き』で 知りました
今日はカミさんの“誕生日”実家風の《すき焼き》を作ってあげようか!
2012年
4月
29日
日
今日は津川の“サクラ”が満開でした
おかげで“サクラ”と“SL”が《ツーショット》になるよう
カメラマンが大勢《ベストショット》を狙っていました
これが先週ではダメです 来週でもダメです
・・・・・今日なのです・・・・・
一年に一回 今日だけです
天気も良く 珍しく“ゴールデンウィーク”にかかりました
来年も“サクラ”が咲くでしょう しかし
雨かもしれません・平日に見ごろかもしれません・
“SL"が終っているかもしれません
『一生に一度かもしれないのです』
『一期一会』なのです
すばらしい景色もそうですが 人との出会いもそうです
《時間がずれたり》《場所が違ったり》《気持ちが違ったり》
すれば 出会うことが無かった かもしれません
『偶然の出会いを 大切にしていきたいです!』
『一期一会』です
2012年
4月
28日
土
『ゴールデンウィーク』が始まった!
今年は 昨年の分まで取り戻すかのように活気があるみたいだ
遠くに雪山を望みながら クーラーを付けて車を走らせた
= 天候まで《熱いんだか》《寒いんだか》賑やかだ!=
3月に開催した《光越窯の器展》が好評だったので
北方文化博物館からゴールデンウィークの5月3日~6日と
“藤”のライトアップの期間 5月11日~21日の
展示会の依頼があった・・・大変ありがたい・・・
しかし 5月12日・13日の“長岡クラフトフェア”や
5月3日の“狐の嫁入り行列”と重なった・・・困った・・・
急遽 色んな人に応援をお願いした
おかげで面白いイベントになりそうだ
《光越窯の展示・販売》《中ノ沢森林公園・森の科学館の木工体験》
《新潟ジャズクラブとのタイアップ》《日本画の先生の“藤の絵”の展示》
最近の“お天気”と同様『賑やか』になりそうだ!
2012年
4月
27日
金
= “若者”・“馬鹿者”・“よそ者” =
これは町おこしの《常套句》のようだ
津川の『狐の嫁入り行列』と同じく成功した
村上の『町屋の人形さまめぐり』がある
いや 『狐の嫁入り行列』以上だと思う
『嫁入り』は 5月3日 一日だけ“人”を呼ぶが
『人形さま』は 長いスパンで“人”を呼ぶことが出来る
“人”が多く訪れれば何かしらの“渦”が巻き起こる
良い意味の《刺激》《変化》《活力》が起きるのではないか
やはり“馬鹿者”いや“バカになって動く者”がいたと思う
『屏風まつり』『黒塀拡張』2の手3の手を打ってきている
我が家の“年末家族旅行”に《瀬波温泉》から《村上街めぐり》を三年続けていた
2012年
4月
26日
木
= 麒麟山 =
新潟から《会津若松》《山の神様》に向かう時
R49号線が阿賀野川と平行してくると景色が変わってくる
そして津川に差し掛かると『麒麟山』が見えてくる!
・・・子供の頃から印象に残る『 山 』だった・・・
まさか 毎日『麒麟山』を眺めて生活するとは思わなかった
標高195mの小高い山で 江戸時代 はじめの頃まで
『麒麟山』の中腹あたりに『津川城』があった
(別名 狐の戻り城である)
=徳川の“一国一城政策により《城》を廃止《代官所》を置いた=
=津川は 明治まで《会津藩》であった=
5月3日の『狐の嫁入り行列』の舞台になる
一年で一番 にぎやかになる日だ!
息子の通った《もみじ保育園》は常浪川をはさんで まん前にあった
2012年
4月
25日
水
もう二十数年前の“春”の《デルバラ》である
日本銀行新潟支店の脇を通り過ぎ丁字路の突き当たり
木造の古い民家が会場であった
表に小さい木の札で『妻有』とだけ書いてあった
(“つまり”と読む)
木戸を抜けて玄関に入り 靴を脱いで10畳ほどの居間に入る
《デルバラ》のメンバーは十人ほど 他に 常連客が二人
常連客の一人はお座敷前の『古町芸妓さん』だった
主人が朝早く“山”に入って採ってきた十種類ほどの《山菜》を
一種類ごとに食べ終わってから“てんぷら”に揚げてくれる
衣は水で溶いただけの“そば粉”である・・・上手かった!・・・
『古町芸妓さん』とも仲良くなり “美味しい酒宴”だった
《山菜》《蕎麦の衣》《銘酒八海山》《古町芸妓》
“春の香り?”を愉しんだ!
2012年
4月
24日
火
数年前から《 さも泣かせます!》と言う
映画・ドラマは必ずと言っていいほど “泣きます”
泪と関係ないドキュメンタリーでさへ “泣きます”
子犬・子猫・子供を 見ているだけで “泣きます”
=感受性が強くなったのでしょうか?=
町を歩いている時《ふと》したことで “泣きます”
ホームセンターで工具を見ただけで“泣いてしまいました”
サクラの散る景色を思うと・・・・『怖いです!』
2012年
4月
23日
月
=“やちむんの里”共同登り窯=
“ 次郎窯 ”は四軒の工房で焚いていた
《次郎窯》《敏男窯》《宮陶房》《常秀工房》
読谷村には“四軒共同登り窯”が 三基あった
《金城次郎共同登り窯》・・・二ヵ月半ごとに焼成・・・年5回
《読谷山焼共同登り窯》・・・二ヶ月ごとに焼成・・・・年6回
《読谷山焼北共同登り窯》・・一ヵ月半ごとに焼成・・・年8回
(修行時代の20年前なので今はどのくらいで焚いているかわからないが)
《常秀工房》では“窯の片付け”“薪整理”“粘土作り”などで半月
・ 注文品を“ガス窯”で一ヶ月 ・“登り窯作業”で一ヶ月
今 思うと二ヵ月半の“登り窯”ペースはハードでしたが勉強になりました
・・・しかし 《北窯》の“一ヵ月半”のサイクルは驚異的なスピードでした・・・
2012年
4月
22日
日
雪の切れ間から“ふきのとう”が顔をのぞかした
「春を告げる山菜」だ!
独特の苦みには
ポリフェノール類が多く含まれ
胃を丈夫にして腸の働きを整える
花粉症の予防や咳止めに効果があるといわれ
発がん物質を除去し 春のだるさや疲れを解消する働きを持っている
=《苦い》が いいこと尽くめだ!=
早速 定番の《てんぷら》《ふき味噌》にして食べよう!
独特の苦みや香りを持ち、冬眠から目覚めた“熊”が、
一番初めに口にするといわれる
では
『ふきのとう』を食べて =目を覚まそう!=
2012年
4月
21日
土
国指定史跡『古津八幡遺跡・弥生の丘展示館』が
今日 オープンと言うことで見に行った
近くには“新津美術館”“県立植物園”“新津フラワーランド”
“石油の里公園”“中野邸”などがあり
私のお気に入りのエリアでもある
天気もよく桜も満開である
『竪穴式住居』もある『歴史の広場』を散策した
丘を下りてくると『新潟県立埋蔵文化財センター』に出てきた
数年前に個展“jyoumon展”で“インスピレション”をいただいた場所だ!
『弥生の丘展示館』も面白かったが
やはり『埋蔵文化財センター』は別格である =すばらしい!=
(時間を忘れてセンター内を隅々まで回った)
また“jyoumon展Pt2” を開催したくなった
やはり『弥生』より『縄文』の方が《心》が揺さぶられる!
2012年
4月
20日
金
私が平成6年『津川町』(現・阿賀町)に お世話になった時
(現・新潟県議会議員)澤野 修さんが 津川町町長でした
『わか者』・・・言葉どおりで “若さ”“勢い”“力強さ”
『ばか者』・・・こうと思った事に“バカ”になって突っ走れる
『よそ者』・・・中に居ては気づかない“外からの目・発想”
澤野町長は町長になる前から「狐の嫁入り行列」の推進者だった
当時 『よそ者、わか者、ばか者の目が必要で、
無駄なものにどれだけ投資できるかがカギ』
と よく言われていた
《とりあえず一回だけやろう》が三年やったら《後にはひけなくなった》そうだ!
今でも私は 『よそ者』『バカ者』であるが『わか者』では無くなった
・・・・・・まだ 役に立つのかな?!・・・・・
2012年
4月
19日
木
=== 金城次郎共同登り窯 ===
沖縄に着いたのは平成元年7月半ばだった《次郎窯》は窯焚き最中だった
もちろん 部外者は窯焚きは見ることは出来ない
通りから煙を眺めるのが 精一杯だった
ひょんな事から 3日後からアルバイトをすることになった
《次郎窯》は薪だけを入れる袋(部屋) “大口(おおぐち)”
次から品物を入れる袋(部屋) 1番袋~6番袋
全部で7袋から出来ている
《次郎窯》は“上焼(じょうやち)”の窯である
=“上焼(じょうやち)”= (連房式登り窯)
・・・・・釉薬を付けて絵付けがなされている陶器(食器・花瓶・など・)
=“荒焼(あらやち)”= (半地下半地上窯)
・・・・・釉薬を付けず焼〆の南蛮焼きの陶器(シーサー・焼酎甕・など・)
《金城次郎共同窯》とは“蒔き入れ”“窯掃除”が初対面だった
2012年
4月
18日
水
『息子が10歳の夏休みまで“読み聞かせ”を続けた!』
私の母は 昔から“夢見る文学少女”だったみたいです
父は 『他人の書いた お話なんか 読めるか~』
と 言うタイプだ
私は 単に“読書嫌い”でした・・・・が・・・・・
“読み聞かせ”を続けているうちに
私も “読書好き”になりました
ただ 歳のせいか 眼が疲れます・・・・・ううう・・・・
歳のせいか 同じ姿勢でいると・・・腰が・・・・・
歳のせいか 時代小説が面白い
歳のせいか 読むのが遅い・・歳に関係ないか?・・
好きな《作家》は沢山いますが 今は『隆 慶一郎』です
お勧めは 『一夢庵 風流記』 (前田慶次郎利太のお話)
2012年
4月
17日
火
『息子が10歳の夏休みまで “読み聞かせ”を続けた!』
仕事中に聴いていたラジオで 児童心理学者の先生が話していた
『先生は何歳まで“読み聞かせ”を続けたら宜しいと思いますか? 』
『あなたは寝る時 本を読んでもらうと どのように感じますか?』
『たぶん よく寝れると思います 気持ち良いんじゃないかな! 』
『そうです!幾つになっても気持ち良いのです!期限は無いのです』
=なるほど 『読んでーっ!』と言われなくなるまで 読んでみるか=
《気がついたら小学5年生になっても続けていました》
習慣は 恐ろしいのもで 息子は今でも10時前には寝ています
再来年は《高校受験》・・・・それで良いのか受験生!・・・・
2012年
4月
16日
月
昨日 例の “的確なヒント・アドバイス” をくれる先輩と
出かけたてきた!
彼の《アンテナ》(情報収集力)
《足》 (機動力)
《鼻》 (第六感)
《口》 (話術) には脱帽だ!
『ビッグスワン(東北電力スタジアム)』の側の集落 “鍋潟新田”
その中に《100年前に造られた“土蔵“『杜の蔵』》
・・・・すばらしい“ギャラリー”が有った!・・・・
=祈り=
・・・・・タナカ・キン 流木彫展・・・・・
が 開催されていた
彼の“作品”には心打つものが有った! しかし
その奥に 私の中に“眠っていた物”が目を覚ました!
_____ いつも 『ありがとう!』先輩 _____
キンさんは《流木彫刻家》のほかに《デザイナー》で
《燕市 市議会議員》でもある!・・・不思議な人だ・・・
2012年
4月
15日
日
『息子が10歳の夏休みまで“読み聞かせ”を続けた!』
“読み聞かせ”をしていた頃は しらなっかたが
《日本のアンデルセン》と称される
上越市出身の“童話作家”がいた 『 小川未明 』である
《眠い町》《金の輪》《月夜と老眼鏡》《大きなかに》etc・・・
大人でも“なんだろう?”と思う内容があり
子供に 理解出来るのかなと思う・・・・しかし
理解しなくて良いのだ・・・・・感じれば良い!
不思議な 余韻が残る“短編集”なのである
生誕130年記念展が『小川未明文学館』で開かれている
いわさきちひろ挿絵の絵本 《赤いろうそくと人魚》 美しくもせつなくなる
(夕日と温泉の街「鵜の浜温泉」の海岸には《赤いろうそくと人魚》がモチーフの人魚像が ある )
2012年
4月
14日
土
『息子が10歳の夏休みまで “読み聞かせ”を続けた!』
“ハッピーエンド”で終わるお話だけでなく
“考えさせる”お話も選んだ =寝しなに どうかと思うが=
“新見南吉”の『ごん狐』・“浜田廣介”の『泣いた赤鬼』・
“宮沢賢治”の『銀河鉄道の夜・セロ引きのゴーシュ』・
“芥川龍之介”の『杜子春・蜘蛛の糸』etc・・・・
どれも有名なお話ですが 一番のお気に入りは『ごん狐』です
《 兵十は病気で寝ている母のために“うなぎや魚を捕っていた 》
《 いたずら子狐 “ゴン”は うなぎや魚を逃がしてしまう 》
《 兵十の母の葬儀で“ゴン”は反省し兵十に“届け物”をする 》
《 ある日 家に近づいた“ゴン”を見つけ 兵十が 撃ち殺す 》
《 “ゴン”の側には兵十に届ける“栗やきのこ”が落ちていた 》
・・・親馬鹿ですが 思いやりのあるやさしい子に育っています!・・・
2012年
4月
13日
金
『息子が10歳の夏休みまで “読み聞かせ”を続けた!』
= 小学5年生の夏休みまでである =
色々な種類を織り交ぜて 本を選んだが
男の子は“冒険活劇物”が一番面白いらしい
《中国古典三部作》《マーク・トウェンのトム・ソーヤの冒険》
《スティブンソンの宝島》《 ジュール・ヴェルヌ物》《ゲド戦記》
《A.G.ウェルズ物》etc・・・
午後九時頃から寝付く間までだが 結構読んだ
私は子供時分 本嫌いだったので “あの頃読んでいればナー”と
自分の主観で 選んでいたのかも知れない
“ジューヌ・ヴェルヌ”の作品がモチーフになった
・・・・・『センター・オブ・ジ・アース』・・・・・
息子と見に行くか・・・・・・・そんな時間無いか?!
2012年
4月
12日
木
最近 家族で見ていたテレビ番組で感動した話があった!
芸能人の苦労話は数々有る
『ホームレス中学生』『佐賀のガバイばあちゃん』etc.etc・・・
今回は“ものまねアーティスト≪コロッケ≫の少年時代の話だ
= あ・お・い・く・ま =
あ = 「あせるな」
お = 「おこるな」
い = 「いばるな」
く = 「くさるな」
ま = 「まけるな」
貧しい子供時代のお母さんの教えだったみたいだ
私にとっても 『人生の道しるべ!』になりそうだ
・・・・・・『くさるな』・・・・『まけるな』・・・・・・
2012年
4月
11日
水
時期的に “早春”と言うよりは “春 真っ盛り”ですが
4月に入っても 雪がちらつきます
そろそろ“スノー・タイヤ”を変えようと思うのですが・・・・
≫三寒四温≪
・・・暖かい日と寒い日が交互に繰り返す・・・
しかし
体が感じるより 心が感じています
≫三寒四温≪
もう トンネルを 抜けるかな!
2012年
4月
10日
火
先週 物凄い《風》が吹いた
まるで 大きい“台風”なみだ
私の生徒さんの ご実家が農家で
ビニールハウスが飛んで 被害が出たそうだ
・・・・・ひとごと ではない!・・・・・・
津川の工房も ひどい事になっている
雪が 完全に解けるのも
ゴールデン・ウィーク頃になりそうだ
雪国では 雪が解けて 外仕事ができたら
ようやく 年が明けた気分になる
まずは 飛んでいった 屋根から 探すかな!
2012年
4月
09日
月
『陶芸』は まず粘土を焼かなければ 始まらない
《 一、 焚き 》《 二、 土 》《 三、 細工 》
で ある
しかし “作る物”によって 勉強方法が変わる
《 日用食器 》《 伝統工芸品 》《 オブジェ 》etc・・・
焼くには 『窯』 が必要だ
《 薪窯 》《 ガス窯 》《 灯油窯 》《 電気窯 》etc・・・
粘土の性質にもよるが
《 焼成温度 》《 酸化・還元・中性焼成 》《 あぶり、ねらし 》etc・・・
焚き方も“産地”や“作家”によって変わってくる
《 焼〆 》《 磁器・陶器 》《 釉薬の違い 》《 作家の考え 》etc・・・
“YMOの細野晴臣”さんの声が聞こえてきそうだ
『だから 窯焚きは面白い! やってみなけりゃ わからない!』
2012年
4月
08日
日
『ビール園のビールは なぜ美味いのだろう?』
修行時代 新潟から知り合いが来た時は
必ず“オリオンビール工場”に連れて行く
《ひめゆりの塔》《海洋博公園》《琉球村》《座喜味城址》はもちろん
《オリオンビール工場》は はずせない・・・・なぜか?・・・・
・・・・・・・『ビールが 美味いからである!』・・・・・・・
ビールは鮮度が“命”だそうだ
ビールの敵は・《時間》・《振動》・《酸化》だ そうである
『ビール園のビールは・出来立てで・輸送の振動も無く・酸化が少ない
=美味いわけだ!=
どうりで光越窯の人気商品が 焼〆の“ビールカップ”な 訳だ!
・・・焼〆の“ビールカップ”はきめ細かい泡で酸化を防ぐからだ・・・
2012年
4月
07日
土
毎週 土曜日の夜は “書道教室” に通っている
7年通っているが なかなか上達しない・・・“涙”
・・・今日は“習字”の話では無い・・・・
先日 お世話になった“お花の先生”に
私の作品を差し上げたら お返しに“雪割り草”を沢山いただいた
家だけでは もったいないので“書道の先生”に おっそ分け
喜んでいただき 代わりに“月下美人”をいただいた!
・・・・まるで『わらしべ長者』みたいだ・・・・
『月下美人』は“孔雀サボテン”の一種で
夏の夜に咲いて 朝には散るらしい・・・・(何だか せつない)
=花言葉は “はかない 美” “艶やかな 美人”
夏の《花火》見たいな花を見るのが楽しみだ!
2012年
4月
06日
金
二年ぶりの『津川の狐の嫁入り行列』が近づいてきた
1990年から始まったこのお祭りは
江戸時代のこの地区の“結婚式”が元になっている
夜に 提灯を持った《花嫁行列》 麒麟山に差し掛かった時に
『 きつね火 』に見えたと言う
古くから地元に伝わる
“狐火伝説”と“嫁入り”が結びついたのだ
この祭りの面白いところは《狐のお面》を付けないのだ
・・・・・全員《狐メイク》なのである・・・・・
この日は《おまわりさん》《郵便屋さん》《町の人》
・・・・・全員《狐メイク》なのである・・・・・
5月3日に向け これから準備が大変になってきます・・・私も“絵付け体験”で盛り上げます!
・・・ちなみに私が《狐メイク》をすると《狸メイク》になります・・・
2012年
4月
05日
木
≫ “春” 植えざれば “秋” 実らず ≪
私の“座右の銘”は 『運も 実力のうち』
『棚から ぼた餅』
『ひょうたんから こま』
『果報は 寝て待て』
“まっ” こんな 所でしたが 待っていても ダメですね!
春に 色んな種を蒔こうかと思います。
まずは
《パソコン》《クラフトフェア》《ロングブレス・ダイエット》
秋を待たずして《ホームページ》を見たと仕事の依頼があったり
《ブログ“一期一会”》のコメントをいただき うれしくなったり
人気の《クラフトフェア》に参加できることになったり
いろんな “芽” が出てきました・・・・何だか“ワクワク”です
・・・・・秋には どんな “実” が付くかな・・・・・
2012年
4月
04日
水
=“カマス理論”を知っているだろうか?=
自分で壁を作り 無理だと思い込む“カマス”
お話がこれで終わると悲しすぎる・・・・
・・・・・続きがあった!
水槽に新しい“カマス”を入れると環境が激変する
“新カマス”は迷わず“小魚”を食べに行くのだ
それを見ていた“旧カマス”は仕切りが無いことに 気づき
“新カマス”と一緒に“小魚”を食べる・・・・・
ここから色々なことが 読み取れる ≪ 教訓だ ≫
私は“機械オンチ”と思い『パソコン』は一生、触らないと思っていた
しかし どうだ!“ブログ(一期一会)が2ヶ月続いた・・・(エッヘン!)
これを六回 繰り返すと ≫ 一年になるのだ! ≪
2012年
4月
03日
火
=“カマス理論”を知っているだろうか?=
水槽の中に“カマス”と“小魚”を入れると
すぐに“カマス”が“小魚”を食べてしまう
“カマス”と“小魚”の間に透明の仕切りを入れると
“カマス”は仕切りにぶつかり“小魚”が食べれなくなる
痛い思いをした“カマス”は “小魚”をあきらめる
仕切りを取り除いても“小魚”を食べに行かない
・・・・無理だと思い込み《あきらめ》ているのだ・・・・
“カマス”の気持ちが なんとなく ≪ 私にはわかる!≫
・・・・・・せつない お話である・・・・・・・
・・・・・明日のブログ(一期一会)に・・・・つづく・・・・・
2012年
4月
02日
月
・・・・・平成24年度が始まる・・・・・・
歳時の節目を迎えると自然と
《期待》《希望》《元気》 がわいてくる
= 年が変わると 気持ちが“リセット”される =
= 歳が変わると 気持ちが“リセット”される =
= 年度が変わると 気持ちが“リセット”される =
= 記念日を迎えると気持ちが“リセット”される =
しかし これまでの出来事が無くなるわけでない
・・・・壊れたものは 壊れたままなのだ・・・・
しかし 『年度』が変わったのだ 気持ちも新たに
・・・・・平成24年度に・・・・・
《期待》を込めて《希望》を持って《元気》に頑張るぞ~
2012年
4月
01日
日
昨年 『三条クラフトフェア』を見に行った
今 全国各地で“クラフトフェア”が盛んに行われている
『三条クラフトフェア』も大盛況だった
《陶芸》《染織》《木工》《ガラス》《金属》《皮革》etc・・・
初めて“クラフトフェア”にエントリーした
なんと 全国から400軒以上の応募があったらしい
・・・・参加決定の通知が届いた! “感激”・・・・
(170軒の中に入ったのだ)
喜んでいたら “クラフトフェア”事務局から電話が・・・・
《間違いの通知が行ったかも知れないとの事》
結局 間違いが間違い・・・改めて“初出展祝い”
・・・これって《エイプリルフール》の影響?・・・
6月23日(土〉・24日(日)に
『三条クラフトフェア』でお会いしましょう!
2012年
3月
31日
土
壷屋焼では最初に習うのは《マカイ(ごはん茶碗〉》からである
・・・・《マカイ》に始まって《マカイ》に終わる・・・・
=直径11センチほどの鉢 作りを覚え始めるには手ごろな大きさ=
=しかし 毎日使うもの 使い勝手の良い作品はなかなか出来ない=
=よって 登竜門としては入りやすい作品だが一番難しい作品だ!=
・・・・《湯呑み》に始まって《湯呑み》に終わる・・・・
同じ意味合いなのだろう 益子焼で修行した先輩は《湯呑み》だそうだ
後は《鉢の小から大》《皿の小から大》《立ち物》《袋物》《細工物》・・・
色々 難易度を上げて覚えていき・・・・最後に・・・・
これが 出来たら一人前と言う 作品がある
≫≫≫≫≫ 急須 である! ≪≪≪≪≪
2012年
3月
30日
金
“新潟は杉と男は育たない” よく聴く話です
この“新潟”とは旧新潟市のことを指していると思います
“新潟”は沼地が多く根が張りづらいのではないか
それに浜風が強く 防風林などは“松”が植えられている
“男が育たない”とは どう言う事か?
これには色々な説がある・・・それはともあれ気づいた事がある
沖縄と新潟が似ているのである
『女が強くて働き者だ!』『それに比べて男は・・・・』である。
2009年の厚生労働省が発表した『離婚に関する統計』で
結婚したカップルの30%が離婚したと言う・・・驚きだ!
それより “離婚率の一番高い県が『沖縄県』”
“離婚率の一番低い県が『新潟県』”なのだ
・・・・・やはり『新潟』と『沖縄』は似てないみたいだ!・・・・・
2012年
3月
29日
木
私は熱心なプロ野球ファンではない
しかし “横浜”には不思議な因縁がある
“横浜”は過去2回の優勝がある
1度目の優勝は “大洋ホエールズ” 時代に一回
・・・・・私が生まれた年である!・・・・・
2度目の優勝は “横浜ベイスターズ” 時代である
・・・・私の息子が生まれた年である・・・・
そして今年から “横浜DeNAベイスターズ” に名前が変わった
このチームが三度目の優勝をすれば
私にとって『commemoratin』が一つ増えるかもしれない
・・・・・いよいよ《プロ野球》が開幕です・・・・・
しかし
私は熱心なプロ野球ファンではありません!
2012年
3月
28日
水
入場予約が始まった “東京スカイツリー”は634メートルある
人工建造物としては非常に高い!・・・もちろん日本一である!
だが 私は子供の頃から この高さは経験済みだ
私だけでなく新潟の人は皆 子供の頃からそうだと思う
“越後一ノ宮 『弥彦神社』の奥社”がある 弥彦山
≪弥彦山 頂上≫が634メートルなのである!
・・・なんと 東京スカイツリーと同じ高さ・・・
弥彦山頂上からは越後平野が一望でき
日本海に浮かぶ佐渡ヶ島に 夕日が沈む景色はとてもすばらしい!
新潟の子供たちは“遠足”で必ず 弥彦山に登る
≫≫≫ しばらくは 弥彦山頂上で 我慢するかな ≪≪≪
2012年
3月
27日
火
・・・・・食べ物の話は楽しい・・・・・
私は新潟生まれ、新潟育ちで 日本海の幸には恵まれている
特に 寒いこの時期の魚は脂が乗っている
(佐渡沖の寒ブリは最高!)
修行先の沖縄の魚たちは熱帯魚みたいに 色が鮮やかだった
それに白身の淡白な魚が多い
最初 イラブチャーなどは驚いた!
だが 『魚のバター焼き』は絶品だ!新潟では考えられない調理法だ
“チャンプルー料理”“ラフティー”“沖縄そば”etc,etc・・・
沖縄に行ったら食べたい料理は沢山あるが
ぜひ 『魚のバター焼き』を食べていただきたい!
・・・新潟に来たなら かるく『酢橘 醤油』で!・・・
もちろん 日本酒と一緒にどうぞ 召し上がれ!
2012年
3月
26日
月
陶芸の“ロクロ挽き”は《右回転》か《左回転》を
一度 体で覚えると 反対回転に変えるのは難しい
《右回転》は中国の技法の影響がある 一方
《左回転》は韓国の技法の影響である
《右回転》は手回しロクロが中心になる
(右利きの人が回りすと時計回りになる)
《左回転》は蹴りロクロが中心になる
(利き足の左足で引き込むように蹴り回す)
《右回転》は東日本の産地に多い(瀬戸焼・信楽焼・益子焼・笠間焼・etc・・・)
《左回転》は西日本の産地に多い(唐津焼・有田焼・小代焼・壺屋焼・etc・・・)
・・・九州・沖縄に《蹴りロクロ》が多いのは『秀吉の朝鮮出兵』の影響だ・・・
私は 作りは益子焼で修行した先輩から習ったので 《右回転》
削りは壷屋焼で修行した先輩から習ったので 《左回転》
2012年
3月
25日
日
私の中で“旅行”と“旅”の定義は違う
“旅行”= 家族や友人と楽しく計画を立てて
“旅” = 基本 一人で自由に思いつきの行動
初めての“旅(たび)”をしたのは 16歳・高校1年生の夏休みでした
クラスメートと三人旅です・・・北海道(一週間の旅)・・・
宿はユース・ホステルで関西の大学生が多かった
初めは三人仲良く行動しますが 段々二対一に分かれる
二人は『新潟』を引きずりますが 私の相手はもっぱら大学生
16歳の子供には 刺激の多い話し相手でした
“旅”は 『ひとり旅』で行きましょう!
追伸 北海道の高校は夏休みは8月からなので
7月に行った私たちは 行く先々で補導員に捕まりました!
2012年
3月
24日
土
私には良き先輩が沢山います・・・(ありがたい)
その時々で的確な“アドバイス”や“ヒント”をくれる
火坂雅志の『天地人』はNHKの大河ドラマなので読んでいたが
先輩は『新潟 樽きぬた』を勧めた
江戸時代 日本で始めて町民の手だけで町政を行った
新潟で本当にあったお話である・・・(2ヶ月間だけだが)
主人公の涌井籐四郎は呉服屋の主人で
息子を沼垂の呉服屋にでっちに出したくだりがある
(私は沼垂の呉服屋の息子である)・・・(実家は昭和からの店だが!)
・・・・なんとなく親近感が沸く・・・・
内容は詳しく書かないが 機会があれば読んでほしい!・・・実に面白い!
後で知ったが 火坂氏の実家の数軒隣が私の親戚のお家なのだ!
2012年
3月
23日
金
昔 読んだ本の中に
『弧裡庵先生』こと遠藤周作のエッセイ集があった
中身は思わず笑えるものから
“なるほどー”と思うものまで楽しく読ませてもらった
その中に うる覚えだが・・・確か・・・
『二流・三流のものにいくら接しても肥やしにならない!
一流のもの(本物)に 触れるこが自分の成長につながる。』
見たいな内容があったと思う
解っていても なかなか難しい!
『弧裡庵先生』は後輩の劇団員たちに 来日したすばらしい舞台を 自腹で見せていたと言う
“本物”に触れるには“お金”と“時間”がかかります!
2012年
3月
22日
木
登り窯を焚いていると 四日間火を見ながら
ゆったりした時間が過ぎていく
・・・(窯焚きスタッフと色んな話が出てくる)・・・
『これから“昆虫”が食卓に上るようになる!』
と 言う話が出た!・・・・驚きの話だ!・・・・
世界に目を向けると確かに“芋虫”を食べる地域がある
日本でも“蜂の子”や“タガメ”が高級食材である
・・・・彼も 数年前から好んで食しているのだ!・・・・
彼が言うには
『昆虫を食べて中毒に当った話を聞いたことが“無い!”』
『世の中で 一番安全・安心な 食べ物だ!』と 言うが
私の周りで昆虫を食べる人を彼以外 聞いたことが“無い!”・・・・判断に苦しむ
2012年
3月
21日
水
・・・『民芸のうつわをめぐる旅』・・・
修行時代 大変お世話になった《上江洲茂生》先生が写っていました
二十年前と全然お変わりが無い!・・・(本当に驚きだ!)
私の修行の師《島袋常秀》先生と 酒呑み修行の師《上江洲茂生》先生
今は 二人とも壺屋焼の“大御所”ですが
当時の私の目には(良き友)であり(良きライバル)に映りました
例えば 『矢吹 丈』 と『力石 徹』
『星 飛雄馬』と『花形 満』
『ルパン三世』と『銭形警部』
『 トム 』 &『ジェリー』
=どっちがどっちか解りませんが=
私も そんな好敵手がいたらな~
2012年
3月
20日
火
"暑さ寒さも 彼岸まで”と言いますが今日は真冬に逆戻り
最悪の展示会最終日になりました・・・・『涙』・・・・
昔 “彼岸の日には地獄の釜も休む!”と聞いたことが有ります
・ ・・地獄の鬼も仕事を休んで墓参りでもしたのでしょうか?・・・
ともあれ 無事終了しました!
ご先祖様に感謝しつつ 生きている人間『家族』にも感謝して
・・・・・ご馳走 食べにいくぞ~・・・・
2012年
3月
19日
月
展示会も今日で六日目 残すはあと一日!
新聞効果もあり おかげさまで大盛況です!
会場は『北方文化博物館』で 新潟の人には
『豪農の館 伊藤邸』 の方が解りやすいかも知れません
今日は八代目当主『伊藤文吉』館長が来られました!
・・・・“緊張しました!!!!!”・・・・
この博物館は日本で“初”の『民間博物館』に指定されました
・・・・・なんと 第一号です・・・・
・・・・・・すごい博物館なのです・・・・・・
実はこの博物館で四年前から『陶芸教室』の講師を
依頼されているのです!
2012年
3月
18日
日
習い事を始めるときは
“まっさらな無色のスポンジ”と同じ状態である
どの色のバケツに入れるかで最初の色が決まりまる
その後 違う色のバケツに入れても 最初の色が 薄まっても
・・・・消えることは無い・・・・
最初に どの先生に習うかで その後の方向性が決まる
・・・・“それは その人の≪運≫だ!”・・・・
島袋常秀先生に習い、金城次郎窯で登り窯の修行が最初だったのは
私にとっては ≪≪運≫≫ が良かった!
・・・・・・≪運≫も 実力のうち!・・・・
2012年
3月
17日
土
・・・・・『民芸のうつわを めぐる旅』・・・・・
◎ 面白い本を見つけた ◎
内容は 沖縄・読谷村、大分・小鹿田焼、民芸の街・松本・・・・
読谷村のページでは お世話になった 先生や先輩が載っていた
・・・・実に懐かしい・・・・
(本に からんだ話は今後 おいおい・・・)
たまに見るテレビ番組で色んな地方で変わった“食べ物”“食べ方”を見る
・・・沖縄の『てんぷら』を思い出した・・・
新潟では“天つゆ”で食べたが 沖縄では“ソース”で食べた!
・・・・・・これが 食べつけると『なかなか いける』・・・・・・
2012年
3月
16日
金
どの世界でも一人前の 《目安》はあると思う
陶芸職人の目安は
『一日 湯呑み200個以上ロクロをひけるか』である
私は 三年目でクリアーして“見習い”から“職人”に昇格!
五年目には300個以上 一日でひいた!
条件は “同じ物を”“正確に早く”である
・・・同じリズムで動きに無駄が無い・・・
・・・(流れるようだ)・・・
上には上がいる者で 一日400個作る職人さんがいた!
悔し紛れに『中身で勝負だー!』と 思っていたのだが!?・・・・
・・・・職人の世界は 奥が深く 先が長い・・・
2012年
3月
15日
木
私が卒業した“沼垂小学校”が新聞記事に出ていた
<環境教育のモデル校>になるため取り壊すらしい
私が卒業した年は 『創立100周年』で色々な行事が沢山ありました
私も『児童会長選』に立候補したり(見事に落選)色々ありました
行事の中に“音楽祭”があり 私の標語が『第一席』になり
体育館に大弾幕で飾られました!
・・・・・100年の緑にとけこむハーモニー・・・・・
私が中心に座り記念写真を撮り『創立150周年』に開けるという
・・・・≪タイム・カプセル≫に入れました!・・・・
校庭のどこかに 埋まっているはずです
あと10年≪タイム・カプセル≫は 起こさないで!
2012年
3月
14日
水
展示会 初日なのに朝から雪です!
もう 三月も中なのに・・・・ため息・・・・
午後から いつも愉しみにしてくれる
お客様たちに 来ていただいたり
新聞の取材もあり 少し『ホッ』とした
・・・・ありがたいことだ!・・・・
・・(明日の新聞は どんな写りになっているかな?)・・
私の周りのすべての人に 感謝をこめて
・・・・・『ありがとう ございます』・・・・
2012年
3月
13日
火
自転車で遠出をしたことのある人は
解ると思います
・・・・・微妙な道路の高低差!・・・・・
車だと気づきませんが
ほんの少しの上りでも 足は感じ取れます!
二十数年前の日本一周旅(途中・挫折)の相棒は
ブリジストンの『ランドナー』の改造車です
『ランドナー』は“トンネル”を見つけると喜ぶのです
・・・・・だって 山の“トンネル”は ≫峠≪ にあるから・・・・・
(“峠”は 坂のテッペンに有る きつい坂を登れば 後は楽に降りるだけ!)
・・・飾りつけは終わった!後はお客さんに来ていただくだけ!・・・
2012年
3月
12日
月
====死の直前に 今までの人生がスローモーションで====
====目の前を流れていく と聞いたことがあります ====
朝 路面が凍結している交差点で左折をする際スリップをしてしまいました
スピードは出ていないのですが 止まりません!
ゆっくりと 信号待ちをしている相手の顔が 近づいてきます
視線がこちらに向いています
顔の輪郭がはっきりみえます 女性です
こわばった目が段々大きくなってきます
まるでスローモーションの 映像を見ているようです
すれ違う瞬間 目を閉じました
間一髪の 回避!
しばらくは 心臓の鼓動が高鳴ります
=====今、スローモーションで目の前を通りすぎました?=====
2012年
3月
11日
日
今日はあの 忌まわしい震災から 一年たった
あまりにも 色んなことがあった 一年だった
東北で 日本中で 私の周りで 私にも
・・・・・・・黙祷・・・・・・・・・
2012年
3月
10日
土
友人に 代々続く“常滑焼”の御曹司がいる
修行時代 見学も兼ねて寄せて頂いた時の 話である
彼は “明かりと陶器の融合” を『テーマ』に
(オブジェ)作品の 個展を数度 開催していた
だが 最近“普段使いの器”に興味を持ち始め
(オブジェ)と(食器)で悩んでいたと言う
その答えを解決して下さったのが≪ 鯉江良二先生≫だったと言う
先生は
『アート と ポターにこだわらなくても良いのでないか
(芸術的)(職人的)
やりたい時 やりたい事を 素直にすれば良いのでないか』
私は 初めから民陶の職人だが まったくその通りだと思う!
2012年
3月
09日
金
学生時代 奈良の橿原神宮の近くに住んでいた
初代天皇 神武天皇を祀るための神社だ 明日香村も近くである
とてものどかで良い思いでが沢山あった 食べ物も美味しかった
・・・親元から離れ お酒を覚えたのもこの頃だ・・・
橿原神宮の表参道に 屋台のテントが数十件並んでいた
その中の確か“しまだ”と言う屋台が行き着けだった
ガラスのコップの下に皿を敷き口切りまで酒を注ぐ
つまみは2種類〈おでんとどてやき〉だけである
その“どてやき”の味がなぜか今も忘れられない
名物の屋台は「わかくさ国体」の時に 景観が悪いと言うことで強制撤去されたはずだ
今年も神武天皇祭が近づいている
このブログを見ている青少年の諸君 “お酒は20を過ぎてから!”
2012年
3月
08日
木
いつものことであるが
そろそろお尻が温かくなってきました!
・・・展示会が近づいてきたのである・・・
いつも周りから言われる 『解っていたのに』
『毎回 同じこと言ってるね』
『懲りないねー』
『自業自得!』
もう少しで “お尻に火がつきます!”
・・
・
・・
もうついてました!
2012年
3月
07日
水
久々に町に出た
昔 通った道だが何か違和感を感じる
所々 記憶と違う景色になっていた
・・・・町は変わっているのだ!・・・
ふと 思った・・・“ 友達の子供みたいだ ”
『いつの間にか こんなに立派になって!』
とか
『知らないうちに こんな風になったの?』
とか
自分の気づかないうちに ≪町も≫ ≪友達の子供も≫
確実に 変わっているのだ!(成長であってほしい)
2012年
3月
06日
火
金城次郎先生のお孫さん達も皆、家業を継いでいる
孫たちは次郎先生を
愛着をこめて「オジイ オジイ」と呼んでいた
私が修行に入った年 次郎先生は78歳でした
脳梗塞を患った後なので半身が不自由でしたが
よく冗談を言われてた (うちなーぐちでよくわからないが)
質問されると意味がわからず困ってしまう
それを見て面白がり また質問してくる
最後はやさしく“やまとぐち”で話してくれる
・・・(なーんだ わかっているんだ)・・・
お茶目な “ロボ オジイ” いや
人間国宝でした
2012年
3月
05日
月
どの世界でも ≪職業病≫ はあるものだ!
陶芸の職人さんは “手首・肘 の腱鞘炎” と “腰痛” でしょう
修行時代 ベテランの職人さんが
『椎間板ヘルニア』の悪化で やめていかれました
私は登り窯が終わると どう言う訳か『ギックリ腰』になります
・・・・廃業しないよう腰をいたわらなければ・・・・
(だまし・・・だまし)
今は 展示会が近づいているため “手首の腱鞘炎" ・"肩の痛み” と戦っています
・・・・・・(きく練りのしすぎ??それとも歳???)・・・・・・
2012年
3月
04日
日
私の『名前』の名付け親は “父”である
色々『名前』の由来は聞いたが
“父”の期待に添えているか 自身が無い
・・・長い間 使わせて頂いているので 愛着はある・・・
“父”にはもう一つ大事な『名前』を 付けてもらった
・・・工房・・の『名前』だ!・・・
≪≪≪ 光越窯 ≫≫≫
色んな意味で感謝しています
今日は そんな“父”の誕生日だ!
≪≪≪ お誕生日 おめでとう! ≫≫≫
・・・・何歳だっけ???・・・
2012年
3月
03日
土
兄妹が長野に住んで十五・六年になる
おかげで我が家の家族旅行は長野になることが多い
・・・数年前・・・
長野県須坂市の “豪商の館 田中本家” を見学させていただいた
丁度『ひな祭り』展が開かれていた
約二百五十体のお雛様のお出迎が 圧巻で
家族みんなで楽しんできました
・・・(今年もみたかったなー)・・・
。。
だが一番の満足は “田中本家” の玄関正面のお店で買った
。。。
・・・・・“おやき”の『美味しさ!!』でした・・・・・・・
2012年
3月
02日
金
昔、新潟駅前の居酒屋で隣り合わせた長野人に
「新潟の人は優しいですねー」と言われた
・・・・意味が解らない・・どういうことだ?・・・・
出張で来られていた長野人はこう言うのだ
『日本一の信濃川を新潟の人は “しなのがわ” と言う
越後川で良いと思うのだが・・・
信濃川は長野では“千曲川”と呼んでいる新潟に遠慮はしない』
と 長野人は言っていた
・・・・・なるほど・・考えもしなかった・・・・・・
・・・・・『そうだ 新潟人は 優しいのだ!』・・・・・
2012年
3月
01日
木
“花より団子”と言うが 私ももっぱら団子のほうである
・・・・だから 食器を作っている ・・・・
数年前から依頼で“雪割草”の鉢を作るようになった
知らない世界はまだまだ有るが“雪割り草”も そうである
親指の爪位の大きさほどの可憐な花だが一鉢数百円から
数十万円もする花もあるらしい・(昔は数百万円もあったらしいが)
早く雪が解けて 可憐に咲く“雪割草”に春を感じたいものだ!
・・・・・・・・・・・・・
ちなみに平成20年3月1日 「新潟県の草花」に指定された
2012年
2月
29日
水
今年は オリンピックのある“うるう年”である
“うるう日”“うるう分”“うるう秒”まであるらしい
・・・・今日は 四年に一度の二月二十九日・・・・
・・・・“うるう日”だ!・・・・
あるサラリーマンが言っていた
『同じ給料なのに一日多くはたらかされる』
なるほど 一理ある
わたしは
二人展まで一日、準備期間がもらえて得した気分だ!
・・・・物事は考え次第で気分も変わる・・・・
今日は四年に一度しかない二月二十九日なのである!
2012年
2月
28日
火
私は昔から料理をするのが好きだ
「新作の器で~を盛ろう」とか「この皿はこう使おう」とか
ある時考えた・・・・全部しまい終わるまでが料理ではないか?
食器を洗い 器を棚に収めてきずいた
「こうした方が重なりが良い」とか
「こうした方が縁が壊れにくい」とか 気づくことが多々あった
・・・・『物事は色んな方向から見るものだ』・・・・
・・・カミさんも喜んでくれる・・・
・ ・・?????・・・
・・・・・・・暗黙のうちに 食器洗いは私の仕事になった!・・・・・・・
2012年
2月
27日
月
“民芸運動の父『柳宗悦』” 焼き物の修行を始めたら必ず耳にする
沖縄で人間国宝・第一号になった金城次郎先生は
柳宗悦から見出された
『柳宗悦』が見出したのは沢山ある その一つが“木喰上人”だ
「みんな心をまん丸に どこもかしこもまん丸に」
二百年前“争いごとを嫌った仏師”が詠んだ詩である
昨年 友人が『木喰上人』の本を出版した
・・・雪が解けたら・・・
83歳から作り始めた “ほほえみの仏たち” に逢いに行こう
2012年
2月
26日
日
お蕎麦屋さんの器を収めたさい教わった
『蕎麦の一番美味しい時期は冬である!』と
“知らなかった”てっきり夏とばかり思っていた
蕎麦の実を収穫してから気温が上がるまでの時期が
一番美味しいという
でも今は昔と違い保存がよく年中美味しく食べれるそうだ
今日は温かい蕎麦と行くかな
“鴨南”?それとも“牡蠣みぞれ”?
2012年
2月
25日
土
人間国宝の金城次郎先生の作品をじかに見たくて
自転車を読谷村に向けた・・・・『登り窯』の窯焚き最中だった
ひょんな事からアルバイト
まさか沖縄で“やちむん”のお手伝いとは!
一週間かかる窯焚きが終わると三日間の窯休み
休みが終わると掃除・薪作りと薪入れ
窯場の整理が終わるといよいよ窯出しである
窯を焚いては“飲む” 窯休みに“飲む”
薪入れが終わると“飲む” 窯出しが終わると“飲む”
・・・・・私にピッタリのアルバイトだ!・・・・・・・
2012年
2月
24日
金
少女マンガ“ベルサイユのバラ”〈ベルバラ)が はやっていた頃
新潟に 旨い物を食べすぎて お腹が出てくる(デルバラ)と言う
おじさん集団があった (お姉さまも・・・いた?)
私が社会人になりたての頃 メンバーに入れてもらえた
カメラマン・デザイナー・コンピューター技師・美容師・看護師
etc.etc.
・・・・・・大人の勉強をいろいろ教わった・・・・・・
“あっと”言う間に先輩を見習い お腹が出てきた
・・・今、私は後輩たちに≪ワクワク感≫を与えられているのだろうか?・・・ ・