温故知新  前編

=  会津本郷焼 “一楽窯” =

 

津川で登り窯を作り始めた頃  偶然

会津本郷焼の“一楽焼”のご主人とお話する機会があった

 

その当時 すでにご高齢でしたが新潟から持ち込んだ

《越の寒梅》のおかげで色んなお話が伺えた

 

  〇十代のときから家業の陶房を手伝っていた (戦前の話だ)

  〇昔は窯道具(ツク・棚板など)がすべて手作りだった

  〇今の《宗像窯》の登り窯が共同窯で《一楽窯》も焚いていた

  〇共同登り窯は一番袋から五番袋まで“磁器物”の工房で

   最後の六番袋が“土物”の《宗像窯》だ・・・など・・・・

                 昔の陶芸に関する苦労話が色々聴けた・・・貴重な時間だった

 

          お話の中で一番気になった話があった

          『昔は“アルミナ”を多く含む粘土が《 柳津町五畳敷》にあった』だ!

          怠慢でまだ調べていないが 今後調べていきたい

          他にも杉の葉灰が“磁器物”の透明釉に使っていたなど

          忘れずに記録いておかなければいけない

 

          = “先人”がいなくなると “先人”の《知識》《情報》がなくなる =

            = 次の世代が《記憶》《記録》していかねば ならないと思う =